2022年01月25日
めろん様
今を遡ること17年半、2004年7月18日にめろんと筆者は出会いました!当時は、筆者自身もまだ30代の前半という若さでしたが…それが、人生で初めて犬と暮らし始めた日でもあるという、最初の子だったのです。
とにかく、当時は比較対象というものがなかっただけに、なんでもかんでも、きっとこれが普通なんだろうなと思っていましたが…今は違います。

仔犬の頃から、とにかく我が強い子でした!そのくせ、たいへんな気分屋で…その時その時で、天使にも悪魔になるような、そんな子だと表現するのが適切じゃないかなと、そこが下の2頭とは明らかに違う点でした。
1頭飼いとして過ごした2年ちょっとの間にも、本当にたくさんの思い出があります…その後のイメージに反して、当時はかなり足が速かったりと。

とにかくよく走るものですから、いつしかドッグランで遊ぶようになり、そこで徐々によその子たちとの付き合い方を身につけていきました!って、ナンパしてくる男の子を撃退したりとか、そんなんばっかりでしたけどね。
大型犬を相手にしても、まったく恐がらないような豪胆さもありました…我の強さは世間知らずゆえのものでなく、筋金入りかと諦めたものです。

一念発起して自家繁殖に挑戦、ここで陸クンという、後に数多くの子孫を残すことになる同い年のパートナーに出会い、ぶじ3頭の仔犬を授かったのが2006年の8月16日、本編を書き始めたのもちょうどその頃です。
その3兄妹も、今となっては末娘のあんずを残すのみになってしまいましたね…ほんの3ヶ月という短い間でしたが、かけがえのない時間でした。

むさしとあんずが巣立っていき、いよいよ同年11月10日から始まった母娘の2頭飼い生活!この辺りから、人脈ならぬ犬脈というやつが一気に拡大するのです…ドッグラン通いにSNSと、世界が広がっていきました。
そして、極めつけとなったのが2007年6月のよかパピ加入です…活動休眠状態からの再開だったので、まぁリニューアルオープン時ですか。

そこから先は、もう本当に数えきれない子たちとお友達になり、交流を重ねる機会に恵まれました!娘のように、輪の中心で目立ちまくるタイプではありませんでしたが、自然発生的にめろん様と呼ばれ始めたのです。
そういう気質であることに加え、娘のらむねがガキ大将であったことも、そう呼ばれるようになった理由の1つでしょう…妙にハマったんですよね。

2009年には二度目の自家繁殖に挑戦し、はなびという男の子を授かりましたが、その生涯はあまりに短すぎるものでした…これを最後に繁殖は引退、その後は2014年にわさこを迎えるまで、娘と2頭で暮らしました。
2頭だろうが3頭だろうが、めろんが1頭目であることは、当然ながらずっと変わりません!常に一族の長、我が家の顔であり続けた存在です。

避妊手術の他にシュウ酸カルシウム結石の除去、胸のあたりにできた腫瘍の摘出と、実に三度も身体にメスを入れながら、いつの間にかよかパピの中でも最年長となっていました…よく頑張ってくれたなと思います。
2021年11月15日に娘が先立ってしまった際、もうしばらくはゴメンだから20歳まで頑張れなんて書きましたけど、そうはいきませんでしたね。

その僅か56日後の2022年1月9日に、妻の腕の中で、静かに眠るように旅立って行ってしまいました…人前では決して筆者に甘えないなど、プライドの塊のようだっためろん様らしく、カッコよく締め括られた生涯でした。
いずれまた、よかパピで様を付けられるような子が出てくるのでしょうか!この称号を継ぐ子の登場が、ちょっと楽しみだったりする筆者です。。。

とにかく、当時は比較対象というものがなかっただけに、なんでもかんでも、きっとこれが普通なんだろうなと思っていましたが…今は違います。


****なんと言うか、表情に滲み出ていますよね。(汗)****
仔犬の頃から、とにかく我が強い子でした!そのくせ、たいへんな気分屋で…その時その時で、天使にも悪魔になるような、そんな子だと表現するのが適切じゃないかなと、そこが下の2頭とは明らかに違う点でした。

1頭飼いとして過ごした2年ちょっとの間にも、本当にたくさんの思い出があります…その後のイメージに反して、当時はかなり足が速かったりと。


****身体能力は、娘の上を行っていたと思います。****
とにかくよく走るものですから、いつしかドッグランで遊ぶようになり、そこで徐々によその子たちとの付き合い方を身につけていきました!って、ナンパしてくる男の子を撃退したりとか、そんなんばっかりでしたけどね。

大型犬を相手にしても、まったく恐がらないような豪胆さもありました…我の強さは世間知らずゆえのものでなく、筋金入りかと諦めたものです。


****こういう顔もまた、めろんの一部ですのでね。(笑)****
一念発起して自家繁殖に挑戦、ここで陸クンという、後に数多くの子孫を残すことになる同い年のパートナーに出会い、ぶじ3頭の仔犬を授かったのが2006年の8月16日、本編を書き始めたのもちょうどその頃です。

その3兄妹も、今となっては末娘のあんずを残すのみになってしまいましたね…ほんの3ヶ月という短い間でしたが、かけがえのない時間でした。


****その後に一度だけ、皆で集まることもできました。****
むさしとあんずが巣立っていき、いよいよ同年11月10日から始まった母娘の2頭飼い生活!この辺りから、人脈ならぬ犬脈というやつが一気に拡大するのです…ドッグラン通いにSNSと、世界が広がっていきました。

そして、極めつけとなったのが2007年6月のよかパピ加入です…活動休眠状態からの再開だったので、まぁリニューアルオープン時ですか。


****どこへ行っても、目立つ母娘だったと思います。****
そこから先は、もう本当に数えきれない子たちとお友達になり、交流を重ねる機会に恵まれました!娘のように、輪の中心で目立ちまくるタイプではありませんでしたが、自然発生的にめろん様と呼ばれ始めたのです。

そういう気質であることに加え、娘のらむねがガキ大将であったことも、そう呼ばれるようになった理由の1つでしょう…妙にハマったんですよね。


****実際、明確すぎる序列がありましたので。(笑)****
2009年には二度目の自家繁殖に挑戦し、はなびという男の子を授かりましたが、その生涯はあまりに短すぎるものでした…これを最後に繁殖は引退、その後は2014年にわさこを迎えるまで、娘と2頭で暮らしました。

2頭だろうが3頭だろうが、めろんが1頭目であることは、当然ながらずっと変わりません!常に一族の長、我が家の顔であり続けた存在です。


****ボスであるがゆえに、無礼は決して許さないのです。****
避妊手術の他にシュウ酸カルシウム結石の除去、胸のあたりにできた腫瘍の摘出と、実に三度も身体にメスを入れながら、いつの間にかよかパピの中でも最年長となっていました…よく頑張ってくれたなと思います。

2021年11月15日に娘が先立ってしまった際、もうしばらくはゴメンだから20歳まで頑張れなんて書きましたけど、そうはいきませんでしたね。


****気付けばシニアになっていた、そんな感じですね。****
その僅か56日後の2022年1月9日に、妻の腕の中で、静かに眠るように旅立って行ってしまいました…人前では決して筆者に甘えないなど、プライドの塊のようだっためろん様らしく、カッコよく締め括られた生涯でした。

いずれまた、よかパピで様を付けられるような子が出てくるのでしょうか!この称号を継ぐ子の登場が、ちょっと楽しみだったりする筆者です。。。
