2022年01月26日
15年ぶりの形
めろんが旅立っていった日の翌日、1月10日の月曜日は、3連休の最終日でもありました…特に考えるまでもなく、らむねと同じ場所で見送ることに決めた我が家、そりゃまぁ、変える理由なんて何ひとつありませんから。
お昼過ぎから、家族総出で向かいました…当然ながら、らむねとはなびも連れて行きましたよ!例の、GHを見下ろす山の上にある斎場です。

今回は祝日だったこともあり、本当に大勢の仲間たちに見送っていただけました!あの日とまったく同じような、よく晴れた真っ青な空の下で、天に昇っていっためろん様…あぁ、終わってしまったんだなと思いました。
結局、さっちーさんには僅か2ヶ月の間に、同じ場所で3頭もの見送りをさせてしまいました…でんクンの急逝から、本当に立て続けだったなと。

駆けつけてくださった皆さまにお礼を言い、静かに引き上げた我が家を待っていたのは、贈られてきたお花でした!あれからそう日が経っていないにもかかわらず、またしてもこんなに沢山…もう、感謝しかありません。
らむねに贈られた花々が役目を終え、こじんまりとしつつあったその場所が、またどんどん賑やかになっていきます…本当に有難うございます。

そういうわけで、とうとう母娘とも居なくなってしまいました!喪失感というか虚無感というか、なんとも言えない雰囲気に包まれてしまっている我が家…そんな時、1頭だけ残されたわさこを見ていて、ふと思いました。
或いは、死という概念を理解したのかも知れないな…と、上の2頭が知らないことを経験したわけですから、そうであっても不思議はないですね。

実は、この翌日からぶっ続けで休みナシ、ほぼ家にも帰れないほど仕事が忙しくなっていく筆者、これってめろんが気遣ってくれたんだろうか?なんて思ってしまいます…意図して3連休で収めてくれたような気がして。
初日にしっかりと最後の時間を過ごし、2日目に旅立ち、3日目で天に昇っていったという、考えれば考えるほど、完璧なタイミングでしたので。

とても従順だったらむねが、なんの前触れもなく旅立ってしまい、ほとんど飼い主の言うことを聞かないめろんの方が、こんな去り方をするだなんて…生前のイメージからすると、まったく逆であるようにも思いました。
いや、でもやっぱり…これが、あの子たちらしいのかも知れませんね!いずれにせよ、生涯決して忘れることのできない2ヶ月間になったなと。

さて、これからわさことの1頭飼い生活が始まるわけですが、あの日以来、実に15年ぶりとなる家族構成です…どんな感じだっただろう?と、思い出すのも苦労するほど久々の感覚、しばらくは違和感ばかりでしょうね。
なんだかんだ言って依存していたでしょうから、上の2頭を失ったストレスも心配ではありますけど、こればっかりは、乗り越えるしかありません。

らむねのことがあって以来、長いこと本編の更新をお休みしていましたが…また、一気に書き上げることになってしまいました!心のままにお伝えしたいことを書き続けたら、身勝手にも、ひどく疲れてしまいました。
いずれまた、ここで1頭飼い生活の様子はお伝えしていくものとして、もう少しお休みをいただきたいと思います!こんな事ばかりですみません。

そう言や、なんか無性にあんずに会いたくなったな…と、当時の家族たちで、残ってるのはもうあの子だけですし、できればまだ元気なうちに、母娘のことを伝えに行かなきゃいけない!そう思えて仕方がないのです。
2頭を見守り続けてくださっていた皆さま、本当にありがとうございました!こうして、母娘はその生涯を終えました…時々でも構いませんので、そんなパピヨンがいたなと思い出していただけたら、とても嬉しいです。。。

お昼過ぎから、家族総出で向かいました…当然ながら、らむねとはなびも連れて行きましたよ!例の、GHを見下ろす山の上にある斎場です。


****最高に機嫌が良い時の顔ですね、これは。****
今回は祝日だったこともあり、本当に大勢の仲間たちに見送っていただけました!あの日とまったく同じような、よく晴れた真っ青な空の下で、天に昇っていっためろん様…あぁ、終わってしまったんだなと思いました。

結局、さっちーさんには僅か2ヶ月の間に、同じ場所で3頭もの見送りをさせてしまいました…でんクンの急逝から、本当に立て続けだったなと。


****きっと、母娘とも喜んでいると思います。****
駆けつけてくださった皆さまにお礼を言い、静かに引き上げた我が家を待っていたのは、贈られてきたお花でした!あれからそう日が経っていないにもかかわらず、またしてもこんなに沢山…もう、感謝しかありません。

らむねに贈られた花々が役目を終え、こじんまりとしつつあったその場所が、またどんどん賑やかになっていきます…本当に有難うございます。


****本当にもう、圧倒されてしまいますね。****
そういうわけで、とうとう母娘とも居なくなってしまいました!喪失感というか虚無感というか、なんとも言えない雰囲気に包まれてしまっている我が家…そんな時、1頭だけ残されたわさこを見ていて、ふと思いました。

或いは、死という概念を理解したのかも知れないな…と、上の2頭が知らないことを経験したわけですから、そうであっても不思議はないですね。


****多くのものを、背負わせてしまうことになりました。****
実は、この翌日からぶっ続けで休みナシ、ほぼ家にも帰れないほど仕事が忙しくなっていく筆者、これってめろんが気遣ってくれたんだろうか?なんて思ってしまいます…意図して3連休で収めてくれたような気がして。

初日にしっかりと最後の時間を過ごし、2日目に旅立ち、3日目で天に昇っていったという、考えれば考えるほど、完璧なタイミングでしたので。


****こんな風に遊ぶ姿も、ちょっと珍しかったりします。****
とても従順だったらむねが、なんの前触れもなく旅立ってしまい、ほとんど飼い主の言うことを聞かないめろんの方が、こんな去り方をするだなんて…生前のイメージからすると、まったく逆であるようにも思いました。

いや、でもやっぱり…これが、あの子たちらしいのかも知れませんね!いずれにせよ、生涯決して忘れることのできない2ヶ月間になったなと。


****この時の写真、めろんものもありました。****
さて、これからわさことの1頭飼い生活が始まるわけですが、あの日以来、実に15年ぶりとなる家族構成です…どんな感じだっただろう?と、思い出すのも苦労するほど久々の感覚、しばらくは違和感ばかりでしょうね。

なんだかんだ言って依存していたでしょうから、上の2頭を失ったストレスも心配ではありますけど、こればっかりは、乗り越えるしかありません。


****二度と戻らない、本当に輝かしい日々でした。****
らむねのことがあって以来、長いこと本編の更新をお休みしていましたが…また、一気に書き上げることになってしまいました!心のままにお伝えしたいことを書き続けたら、身勝手にも、ひどく疲れてしまいました。

いずれまた、ここで1頭飼い生活の様子はお伝えしていくものとして、もう少しお休みをいただきたいと思います!こんな事ばかりですみません。


****わさこの他にもう1頭、残された子がいます。****
そう言や、なんか無性にあんずに会いたくなったな…と、当時の家族たちで、残ってるのはもうあの子だけですし、できればまだ元気なうちに、母娘のことを伝えに行かなきゃいけない!そう思えて仕方がないのです。

2頭を見守り続けてくださっていた皆さま、本当にありがとうございました!こうして、母娘はその生涯を終えました…時々でも構いませんので、そんなパピヨンがいたなと思い出していただけたら、とても嬉しいです。。。

We will never forget your affection!
2022年01月25日
めろん様
今を遡ること17年半、2004年7月18日にめろんと筆者は出会いました!当時は、筆者自身もまだ30代の前半という若さでしたが…それが、人生で初めて犬と暮らし始めた日でもあるという、最初の子だったのです。
とにかく、当時は比較対象というものがなかっただけに、なんでもかんでも、きっとこれが普通なんだろうなと思っていましたが…今は違います。

仔犬の頃から、とにかく我が強い子でした!そのくせ、たいへんな気分屋で…その時その時で、天使にも悪魔になるような、そんな子だと表現するのが適切じゃないかなと、そこが下の2頭とは明らかに違う点でした。
1頭飼いとして過ごした2年ちょっとの間にも、本当にたくさんの思い出があります…その後のイメージに反して、当時はかなり足が速かったりと。

とにかくよく走るものですから、いつしかドッグランで遊ぶようになり、そこで徐々によその子たちとの付き合い方を身につけていきました!って、ナンパしてくる男の子を撃退したりとか、そんなんばっかりでしたけどね。
大型犬を相手にしても、まったく恐がらないような豪胆さもありました…我の強さは世間知らずゆえのものでなく、筋金入りかと諦めたものです。

一念発起して自家繁殖に挑戦、ここで陸クンという、後に数多くの子孫を残すことになる同い年のパートナーに出会い、ぶじ3頭の仔犬を授かったのが2006年の8月16日、本編を書き始めたのもちょうどその頃です。
その3兄妹も、今となっては末娘のあんずを残すのみになってしまいましたね…ほんの3ヶ月という短い間でしたが、かけがえのない時間でした。

むさしとあんずが巣立っていき、いよいよ同年11月10日から始まった母娘の2頭飼い生活!この辺りから、人脈ならぬ犬脈というやつが一気に拡大するのです…ドッグラン通いにSNSと、世界が広がっていきました。
そして、極めつけとなったのが2007年6月のよかパピ加入です…活動休眠状態からの再開だったので、まぁリニューアルオープン時ですか。

そこから先は、もう本当に数えきれない子たちとお友達になり、交流を重ねる機会に恵まれました!娘のように、輪の中心で目立ちまくるタイプではありませんでしたが、自然発生的にめろん様と呼ばれ始めたのです。
そういう気質であることに加え、娘のらむねがガキ大将であったことも、そう呼ばれるようになった理由の1つでしょう…妙にハマったんですよね。

2009年には二度目の自家繁殖に挑戦し、はなびという男の子を授かりましたが、その生涯はあまりに短すぎるものでした…これを最後に繁殖は引退、その後は2014年にわさこを迎えるまで、娘と2頭で暮らしました。
2頭だろうが3頭だろうが、めろんが1頭目であることは、当然ながらずっと変わりません!常に一族の長、我が家の顔であり続けた存在です。

避妊手術の他にシュウ酸カルシウム結石の除去、胸のあたりにできた腫瘍の摘出と、実に三度も身体にメスを入れながら、いつの間にかよかパピの中でも最年長となっていました…よく頑張ってくれたなと思います。
2021年11月15日に娘が先立ってしまった際、もうしばらくはゴメンだから20歳まで頑張れなんて書きましたけど、そうはいきませんでしたね。

その僅か56日後の2022年1月9日に、妻の腕の中で、静かに眠るように旅立って行ってしまいました…人前では決して筆者に甘えないなど、プライドの塊のようだっためろん様らしく、カッコよく締め括られた生涯でした。
いずれまた、よかパピで様を付けられるような子が出てくるのでしょうか!この称号を継ぐ子の登場が、ちょっと楽しみだったりする筆者です。。。

とにかく、当時は比較対象というものがなかっただけに、なんでもかんでも、きっとこれが普通なんだろうなと思っていましたが…今は違います。


****なんと言うか、表情に滲み出ていますよね。(汗)****
仔犬の頃から、とにかく我が強い子でした!そのくせ、たいへんな気分屋で…その時その時で、天使にも悪魔になるような、そんな子だと表現するのが適切じゃないかなと、そこが下の2頭とは明らかに違う点でした。

1頭飼いとして過ごした2年ちょっとの間にも、本当にたくさんの思い出があります…その後のイメージに反して、当時はかなり足が速かったりと。


****身体能力は、娘の上を行っていたと思います。****
とにかくよく走るものですから、いつしかドッグランで遊ぶようになり、そこで徐々によその子たちとの付き合い方を身につけていきました!って、ナンパしてくる男の子を撃退したりとか、そんなんばっかりでしたけどね。

大型犬を相手にしても、まったく恐がらないような豪胆さもありました…我の強さは世間知らずゆえのものでなく、筋金入りかと諦めたものです。


****こういう顔もまた、めろんの一部ですのでね。(笑)****
一念発起して自家繁殖に挑戦、ここで陸クンという、後に数多くの子孫を残すことになる同い年のパートナーに出会い、ぶじ3頭の仔犬を授かったのが2006年の8月16日、本編を書き始めたのもちょうどその頃です。

その3兄妹も、今となっては末娘のあんずを残すのみになってしまいましたね…ほんの3ヶ月という短い間でしたが、かけがえのない時間でした。


****その後に一度だけ、皆で集まることもできました。****
むさしとあんずが巣立っていき、いよいよ同年11月10日から始まった母娘の2頭飼い生活!この辺りから、人脈ならぬ犬脈というやつが一気に拡大するのです…ドッグラン通いにSNSと、世界が広がっていきました。

そして、極めつけとなったのが2007年6月のよかパピ加入です…活動休眠状態からの再開だったので、まぁリニューアルオープン時ですか。


****どこへ行っても、目立つ母娘だったと思います。****
そこから先は、もう本当に数えきれない子たちとお友達になり、交流を重ねる機会に恵まれました!娘のように、輪の中心で目立ちまくるタイプではありませんでしたが、自然発生的にめろん様と呼ばれ始めたのです。

そういう気質であることに加え、娘のらむねがガキ大将であったことも、そう呼ばれるようになった理由の1つでしょう…妙にハマったんですよね。


****実際、明確すぎる序列がありましたので。(笑)****
2009年には二度目の自家繁殖に挑戦し、はなびという男の子を授かりましたが、その生涯はあまりに短すぎるものでした…これを最後に繁殖は引退、その後は2014年にわさこを迎えるまで、娘と2頭で暮らしました。

2頭だろうが3頭だろうが、めろんが1頭目であることは、当然ながらずっと変わりません!常に一族の長、我が家の顔であり続けた存在です。


****ボスであるがゆえに、無礼は決して許さないのです。****
避妊手術の他にシュウ酸カルシウム結石の除去、胸のあたりにできた腫瘍の摘出と、実に三度も身体にメスを入れながら、いつの間にかよかパピの中でも最年長となっていました…よく頑張ってくれたなと思います。

2021年11月15日に娘が先立ってしまった際、もうしばらくはゴメンだから20歳まで頑張れなんて書きましたけど、そうはいきませんでしたね。


****気付けばシニアになっていた、そんな感じですね。****
その僅か56日後の2022年1月9日に、妻の腕の中で、静かに眠るように旅立って行ってしまいました…人前では決して筆者に甘えないなど、プライドの塊のようだっためろん様らしく、カッコよく締め括られた生涯でした。

いずれまた、よかパピで様を付けられるような子が出てくるのでしょうか!この称号を継ぐ子の登場が、ちょっと楽しみだったりする筆者です。。。

2022年01月24日
完璧すぎる最期
新年早々、1月2日にらむねの四十九日を迎えた我が家、それから2日後の1月4日から仕事に出た筆者ですが、その日の夜のことです!食事どころか、おやつにまで手をつけなかったんですよね…これは変だなと。
仔犬の頃から偏食で、食べたくない時にはまったく食べない、そんなことも決して珍しくないめろんですが、おやつだけは貰おうとするはずです。

翌日、1月5日は妻が休みだったので、念のために病院で診ていただきました…歳とともに痩せていき、この時点で既に体重が1.6kgまで落ちていたこともあり、これはもう、点滴で栄養を補っていくしかないわけですよ。
そして1月6日の木曜日、それこそ後ろ髪を引かれるような思いで、筆者は朝早くから1泊2日の山陰出張に出ていかなければなりませんでした。

こんな時に限って、そう簡単には帰って来られないものなんですよね!結局、帰宅したのは日付が変わった後、この時点で1月8日になっていましたが、グッタリとしていながらも、なんとか持ち堪えてくれていました。
ただ、その後も食欲は戻らず、朝になってまた連れて行った病院で、もう予断を許さない状況にあると聞かされました…脱水症状が出ていますと。

その日、妻は午後から仕事に出て行きましたが、筆者にとっては3連休の初日、ここで1日じゅうめろんと一緒に過ごすことが許されたわけです!ほとんど家から出ることなく、何度もめろんを抱きかかえてみたりして。
とっくに聞こえなくなっているので、届くはずもないと知りつつ、色んなことを話しました…認めたくはなくても、なんとなく解ってしまいましたので。

そして1月9日の日曜日、3連休の中で唯一2人揃って休みの日、朝7:00のことでした!自力で水を飲むことができないめろんに給水をしようと、妻が抱きかかえ、1口、2口と…ここまでは、舌が反応していましたが。
3口目を注いだところで、ピタリと反応が止まりました…まさしくそこが旅立ちの瞬間だったのではないかと思いますが、これが一部始終です。

こんな風に考えられるまで、少し時間は掛かってしまいましたけど、別れの瞬間にはなるべく一緒にいたい、そしてできれば腕の中で見送ってあげたいと思いつつ、きっと難しいだろうなと、なかば諦めていた筆者です。
ところが、終わってみればそういう形になっていました!筆者ではなく妻の方でしたが、まさかこんな風に送ってやれるだなんて…救いですね。

行ってしまったということを、仕事中にいきなり電話で聞かされたらむねの時と比べれば、なんて完璧なお別れだったことでしょうか…先生がおっしゃるには多臓器不全、まぁ、老衰であったということで良いと思います。
これ以上に、どんな幸せな見送り方があっただろうか?と、仮にあったとして、それを望むのは贅沢というものですね…今の正直な気持ちです。

らむねの四十九日という、ひとつの節目を迎えるまで…しっかり娘を見送った上で、最良のタイミングを選んで、旅立って行ったようにも思えるんですよね!実はとっくに限界だったのを、カッコつけて辛抱していたような。
そう考えるのが、一番めろんらしいなと思います!本当に完璧すぎる、見事な最期…我が家の1頭目は、こうして旅立って行ったのでした。。。

仔犬の頃から偏食で、食べたくない時にはまったく食べない、そんなことも決して珍しくないめろんですが、おやつだけは貰おうとするはずです。


****好きなものは、きっちり貰いにくるお方なので。****
翌日、1月5日は妻が休みだったので、念のために病院で診ていただきました…歳とともに痩せていき、この時点で既に体重が1.6kgまで落ちていたこともあり、これはもう、点滴で栄養を補っていくしかないわけですよ。

そして1月6日の木曜日、それこそ後ろ髪を引かれるような思いで、筆者は朝早くから1泊2日の山陰出張に出ていかなければなりませんでした。


****実際、もうすっかりバァちゃんですのでね。****
こんな時に限って、そう簡単には帰って来られないものなんですよね!結局、帰宅したのは日付が変わった後、この時点で1月8日になっていましたが、グッタリとしていながらも、なんとか持ち堪えてくれていました。

ただ、その後も食欲は戻らず、朝になってまた連れて行った病院で、もう予断を許さない状況にあると聞かされました…脱水症状が出ていますと。


****おまえまで行っちゃうのか?と、そう思いました…。****
その日、妻は午後から仕事に出て行きましたが、筆者にとっては3連休の初日、ここで1日じゅうめろんと一緒に過ごすことが許されたわけです!ほとんど家から出ることなく、何度もめろんを抱きかかえてみたりして。

とっくに聞こえなくなっているので、届くはずもないと知りつつ、色んなことを話しました…認めたくはなくても、なんとなく解ってしまいましたので。


****とは言え、すでにこんな状態…ほぼ寝たきりでした。****
そして1月9日の日曜日、3連休の中で唯一2人揃って休みの日、朝7:00のことでした!自力で水を飲むことができないめろんに給水をしようと、妻が抱きかかえ、1口、2口と…ここまでは、舌が反応していましたが。

3口目を注いだところで、ピタリと反応が止まりました…まさしくそこが旅立ちの瞬間だったのではないかと思いますが、これが一部始終です。


****行くな!って、やっぱりそう言ってしまいましたけどね。****
こんな風に考えられるまで、少し時間は掛かってしまいましたけど、別れの瞬間にはなるべく一緒にいたい、そしてできれば腕の中で見送ってあげたいと思いつつ、きっと難しいだろうなと、なかば諦めていた筆者です。

ところが、終わってみればそういう形になっていました!筆者ではなく妻の方でしたが、まさかこんな風に送ってやれるだなんて…救いですね。


****よく考えたら、とても飼い主孝行だったな…と。****
行ってしまったということを、仕事中にいきなり電話で聞かされたらむねの時と比べれば、なんて完璧なお別れだったことでしょうか…先生がおっしゃるには多臓器不全、まぁ、老衰であったということで良いと思います。

これ以上に、どんな幸せな見送り方があっただろうか?と、仮にあったとして、それを望むのは贅沢というものですね…今の正直な気持ちです。


****いかなる時も、カッコよくないといけない子ですから。****
らむねの四十九日という、ひとつの節目を迎えるまで…しっかり娘を見送った上で、最良のタイミングを選んで、旅立って行ったようにも思えるんですよね!実はとっくに限界だったのを、カッコつけて辛抱していたような。

そう考えるのが、一番めろんらしいなと思います!本当に完璧すぎる、見事な最期…我が家の1頭目は、こうして旅立って行ったのでした。。。

2022年01月23日
永世女王
皆さま、すっかりご無沙汰してしまいました…今さらですが、今年もよろしくお願いいたします!わさこが満8歳の誕生日を迎えたこの日に、久々の記事を更新させていただきますが、あまり明るい話題ではありません。
ちょうど2週間前の1月9日に、今度はめろんが旅立って行ってしまいました…目標の18歳を迎えることなく、眠るように天寿を全うしました。

辛い別れであることに違いはないのですが、らむねのような不意打ちではなく、もう十分すぎるくらいに心の準備が出来た上での見送りとなりました!本当に純粋に、心置きなく別れを悲しむことができた筆者です。
どのみち、いつか必ず訪れるものであるとすれば、それはかなり幸せな姿であったのではないでしょうか…苦しむ様子もなく、実に穏やかでした。

太陽に続いて、今度は敬愛すべき女王まで失ってしまった我が家、この場所からめろんもらむねも居なくなってしまったということが、まだ悪い夢か何かのようにも思えますが、そこは時間が解決してくれるのでしょうか。
ここしばらくの間に、まるで世の中の何もかもが変わってしまったみたいです!人生の楽しかった時間が、一気に終わったような気がしますね。

ただ1頭、遺されたわさこの存在が、今どれほど救いになっていることでしょうか…そう言えば、10年以上も前のことです!母娘の年齢の近さから、或いは立て続けに旅立たれてしまうこともあるんじゃなかろうか?と。
そんな風に考えたからこそ、めろんが満10歳になる頃に、3頭目を迎えようと決めたのでした!当時、この状況をちゃんと予測していたのです。

そうか、よく考えたら全ては予定通りのことだったんだよな…と、3頭との時間を重ねていく中、そんなことはキレイさっぱり忘れてしまっていましたけど、ふと思い出しました!その時が来た、ただそれだけの話でした。
あの時に我が家がした選択は、本当に大正解だったわけですね!仮に、今ここにわさこが居なかったら?と思うと、鳥肌が立ってしまいます。

筆者の生涯で初めての愛犬、17年の長きにわたり、我が家の頂点に君臨しつづけたあの子は、本当に女王という呼び名がピッタリなほど、信じられないくらいに高いプライドと、娘に負けない強い個性の持ち主でした。
後に続く子たちに会えたことも、こうして日記を書いていることも、すべてはこの子と出会い、我が家に迎えたことから始まっているんですよね。

決して大袈裟ではなく、筆者の人生を変えた子と言って良いでしょう…なんせこの17年間、この子たちと過ごす時間こそが、生活の中心だったわけですからね!ウチの子になってくれてありがとう、そう言いたいです。
筆者にとっての初めての愛犬、それは何年経とうと、永遠にめろん様ただ1頭だけです!間違いなく、人生の大きな転換期なんだろうなと。。。

ちょうど2週間前の1月9日に、今度はめろんが旅立って行ってしまいました…目標の18歳を迎えることなく、眠るように天寿を全うしました。


****らむねと違って、笑顔の写真は希少なのです。****
辛い別れであることに違いはないのですが、らむねのような不意打ちではなく、もう十分すぎるくらいに心の準備が出来た上での見送りとなりました!本当に純粋に、心置きなく別れを悲しむことができた筆者です。

どのみち、いつか必ず訪れるものであるとすれば、それはかなり幸せな姿であったのではないでしょうか…苦しむ様子もなく、実に穏やかでした。


****遂に、この日が来てしまったわけですね…。****
太陽に続いて、今度は敬愛すべき女王まで失ってしまった我が家、この場所からめろんもらむねも居なくなってしまったということが、まだ悪い夢か何かのようにも思えますが、そこは時間が解決してくれるのでしょうか。

ここしばらくの間に、まるで世の中の何もかもが変わってしまったみたいです!人生の楽しかった時間が、一気に終わったような気がしますね。


****いつだって、筆者の傍らにはこの姿がありました。****
ただ1頭、遺されたわさこの存在が、今どれほど救いになっていることでしょうか…そう言えば、10年以上も前のことです!母娘の年齢の近さから、或いは立て続けに旅立たれてしまうこともあるんじゃなかろうか?と。

そんな風に考えたからこそ、めろんが満10歳になる頃に、3頭目を迎えようと決めたのでした!当時、この状況をちゃんと予測していたのです。


****3頭飼い、大丈夫だろうか?と思ったものです。****
そうか、よく考えたら全ては予定通りのことだったんだよな…と、3頭との時間を重ねていく中、そんなことはキレイさっぱり忘れてしまっていましたけど、ふと思い出しました!その時が来た、ただそれだけの話でした。

あの時に我が家がした選択は、本当に大正解だったわけですね!仮に、今ここにわさこが居なかったら?と思うと、鳥肌が立ってしまいます。


****この2頭、あんまり絡みませんでしたけどね。(笑)****
筆者の生涯で初めての愛犬、17年の長きにわたり、我が家の頂点に君臨しつづけたあの子は、本当に女王という呼び名がピッタリなほど、信じられないくらいに高いプライドと、娘に負けない強い個性の持ち主でした。

後に続く子たちに会えたことも、こうして日記を書いていることも、すべてはこの子と出会い、我が家に迎えたことから始まっているんですよね。


****こんな風にすました顔が、本当に大好きでした。****
決して大袈裟ではなく、筆者の人生を変えた子と言って良いでしょう…なんせこの17年間、この子たちと過ごす時間こそが、生活の中心だったわけですからね!ウチの子になってくれてありがとう、そう言いたいです。

筆者にとっての初めての愛犬、それは何年経とうと、永遠にめろん様ただ1頭だけです!間違いなく、人生の大きな転換期なんだろうなと。。。
